ガラスペンを買った
ガラスペンを買った。
5年越しの夢が叶った。
2015年の多分秋頃、Twitterでとっても綺麗なインクの情報が流れてきた。
どうやら海外製で、付けペン?万年筆?のインクらしい。
当時の私はインクのこともペンのこともさっぱりで、ただただ綺麗なインクに一目惚れをし、海外のサイトで(多分当時は海外でしか扱ってなかったんだと思う)インクのサンプルを輸入した。
深く美しいグリーンに溶け込んだゴールドのラメ。
何度も振ってはラメを散らし、爪楊枝をそっと浸して紙に線を書いた。
そこで終わってしまった。
このインクに合うようなペンを買おう、という事には当時はならなかった。
それから少しして、デザイン事務所のライターとして働きだし、手で書く量が一気に増えて手首を痛めかけた。腱鞘炎になりかけていた。
ペンを握りたくない、シャープペンシルをノックしたくない、と悩んだ結果、万年筆にたどり着いた。
運良く、「kakuno」という入門用の万年筆が広まり始めた頃で、苦労なく、しかもお手頃価格で私は万年筆を手にすることができた。
軽く握るだけで書ける万年筆は私を救ってくれた。
書き味になれるともっとおしゃれな万年筆が欲しくなり、値段とデザインと相談しながら探し求めた結果、「コクーン」という万年筆にたどり着いた。
ちなみに「kakuno」も「コクーン」もPILOTさんの商品。
国産でAmazonや楽天で、すぐに手に入ると思っていたのだが、私が惚れたコクーンはなんと海外限定のデザインだったのだ。
ちなみに海外ではコクーンではなく、メトロポリタンという。
やっぱり当時は欲しい色が売っていなかった。冒頭の写真の、緑の子である。
綺麗なグリーンとフォルムに惚れていたので、どうしてもこれが欲しかった。これを持って、仕事をしたかった。
悩んで思いついたのが、インクのサンプルを買った海外のサイトだった。
恐る恐る検索してみると、メトロポリタンのグリーンを、取り扱っていた。
すぐに注文して、届く間にインクを買ったりなどし、万年筆が届くのをとにかく待った。
とうとう届いた万年筆は、少し冷たくて、手にしっくりとなじみ、ずっしりとした重みがあった。
ずっしり、というとどれだけ重いのだと言われそうだが、それまで使用していたkakunoが驚異的に軽かったせいもある。
でもその重みは筆圧をかけなくていい優しさであったし、痛む手首から負担を拭い取ってくれた。力を入れなくても自重でインクを吐き出してくれるのだ。
気持ちいいほどスルスルと文字が書け、インタビューの仕事なんかでは取り出すだけでちょっとした話題のタネにもなった。
ただそのデザイン事務所は一年ほどで辞め、今はWebの仕事をしている。
万年筆はメモを取る時に使う程度に頻度が減った。
でももう、ボールペンには戻れないし、ペン先が乾かないよう、定期的に使うようにしている。
ステイホームのさなか、昼食を取りながらテレビを見ていたときだ。番組でガラスペンの特集をしていた。
ふ、と浮かんだのがラメ入りのインクのことだった。机の引き出しの、奥の奥に転がっている、プラスチックの簡易容器に閉じ込められているインク。
ラメ入りのインクは万年筆に使えない。ペン軸にラメが詰まってしまうからだ。
万年筆は使っていても、使えないインクのことは忘れかけていた。たった10ドルのサンプルを、3倍も4倍もの送料をかけて取り寄せたのに。
ガラスペンを検索した。
驚くような値段で売っていた。私はもっと、一万円だとか、数万円だとかする、高級な筆記具だと思っていた。
もちろん、それだけの値段がするガラスペンもあるが、数千円で買える物もあるとは知らなかった。
インクを買ったときに比べると思考回路がケチになっていた私は、本当に使うのか、補完できるのか、すぐに飽きるのではないか、と買わない理由をとくとくと考えた。
でも買ったらあのインクが使える。
爪楊枝にひっかけて、小さな丸を書いて終わったインクで、文字を書くことができる。
目を閉じて決済ボタンを押して、今度はたった数日でガラスペンはやってきた。
つるつるとしたボディ。
鋭利な切っ先。ちょっと力を込めたらすぐに割れてしまいそうで怖い。
軽くて、不安定で、美しい螺旋を刻むペン。
机の中から掘り出していた、5年前のインクを隣に並べた。
それだけで感無量で、心が満たされた気になった。
あの時惚れたインク。底にラメが貯まってしまっているインク。
乱暴なほどに振って、汚さないようにガラスペンを浸した。
書き味を売りにしている紙に、切っ先を這わせる。ガリガリと、ガラスの先端は紙を掻いた。
万年筆ではもちろん、シャープペンシルでもこんな引っかかりはない。
つるりとした持ち手はどう持つのが正しいのかわからず、ぐねぐねと手首を曲げた。
軸を回せば紙が破れそうなほど強く引っかかったと思えば、どばっとインクが落ちることもあった。
螺旋からインクが無くなるまで文字を書いた。
紙に踊るインクは、綺麗な深いグリーンで、ラメは小さすぎて見えず、光にかざしながら傾けたときだけ、微かに光った。
私はすぐにガラスペンを洗って、クッションが詰められたケースに戻した。
5年越しに叶った夢は、嬉しいのに落胆している。
感慨深い気もするが、どこか呆気ない気もする。
多分あのとき、すぐにガラスペンを買っていれば喜び舞い上がって終えられたんだろう。
次にガラスペンを取り出すのがいつになるかも、まだわからない。
乾いたインクは、指でなぞるとボコボコしていて、慣れないペンで書いた文字はいつも以上に汚くて、少しだけキラキラしている。